「なんで英語なんて勉強するの?」と訊かれたら[みんなで英語教育第5回]

今回の記事はanfieldroad先生のブログ企画『みんなで書けば怖くない』の第5回目に参加させて頂いて書いています。

今まで読む一方だったブログ企画に自分が参加しているって,なんだか不思議な感覚です 。
今回のテーマは生徒に,『なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?』と訊かれたら,何と答えますか」
英語教育に関わる人にとってとても身近なテーマです。なぜか私自身はあまり(ほとんどと言っていいくらい)訊かれたことがないのですが,言うつもりの答えは長いこと変わっていません。
 
それは「質問ははぐらかして,良い授業が出来るよう頑張る」
です。
きちんと答えているわけではないので,少しずるい解答かもしれません。
「はぐらかす」と言うのは例えば
「うーん,なんでだろうねー」とか「なんでそんな悲しいこと言うの?」「出来るに越したことないと思わない?」等々。のらりくらりと。
 
 
なぜそんな誠意のなさそうな対応をするかというと,中途半端に答えると余計生徒が英語嫌いになる気がするからです。
 
英語が好きな生徒が英語を勉強する理由はきっと「英語が好きだから」もしくは「将来就きたい仕事で必要だから」くらいではないでしょうか。反対に英語が嫌いな生徒は英語を勉強する理由がないから,「なんで英語なんかしなくちゃいけないの?」という質問に至ってしまうのだと思います。
 
そこに向き合って「いや、でも英語が出来た方がいいよ!世界広がるし!楽しいよ!」と言うのは教師の押し付けな気がします。英語教師が言うと特に。自分が英語好きだったからとは言え,その価値観を押しつけたくはありません。
 
そもそも英語が嫌いな生徒に「英語ができたら将来の選択の幅が広がるよ」「外国の人とコミュニケーションとれるよ」などと言っても,その言葉は魅力的に聞こえるのでしょうか?
 
私自身は中高時代数学が本当に苦手で,嫌いでした。先生に聞いたことこそありませんが、「なんで数学なんてしなきゃいけないの?」とは思っていました。例えば私がその質問を先生にして、「計算の力をつけておくと将来役に立つよ」や「合理的に物事を考える力がつくよ」と回答されて、私は数学が好きになれたのでしょうか?それよりも、わかって楽しい授業をしてくれた方が、結果的には数学に対していい印象を持てる気がします。
 
だからこそ2つ目の「いい授業をする」が大切だと思うのです。
「いい授業」ってなんでしょう?
楽しい授業?生徒がたくさん英語を使う授業?テストでいい点が取れる授業?
答えは人それぞれ、クラスそれぞれだと思います。
要は生徒に「なんで英語なんて勉強しかいとだめなの?」と思わせないような工夫が必要なのではないでしょうか。ゲーム性を取り入れるなり,洋楽を使うなり,方法はたくさんあると思います。「英語(の授業)楽しいかも?」と思わせられるよう,日々努力したいです。
なので「ずるいな」とは思いつつ,「はぐらかして,良い授業ができるよう頑張る」というのが私なりの質問への解答です。
そんなことを偉そうに書いている私自身,授業でもテストでも悩みまくりへこみまくりなのですが,考えをまとめるために書かせていただきました。参加されている他の皆さんの記事を読んで,自分なりの考えを深めたいと思います。
最後になりましたが,このような機会を与えてくださったanfieldroad先生,本当にありがとうございます♪
受験が近づき,クラスの雰囲気に今まで以上に敏感になっています。しなやかにしたたかに,自分なりの方法を模索していきます。
お読みくださった方,ありがとうございました。
それでは*゜

テストについて思うこと

こんばんは。台風の影響で中間考査は明日までとなりましたが,働きだして3回目の定期テストを終えて,自分なりに思うところをまとめたいと思います。
 
私の中で定期テストは短期目標・振り返り・動機づけのための道具です。「テストがあるから勉強する」というのは至極当然の動機で,だからこそ「意味のあるテスト勉強」をさせたいと思っています。そしてテストを基準点としてそこから授業やテスト勉強を計画しようと心がけています。教えっぱなしでテストに出さないのも、軽く流してテストに出すのもどっちもよくないですよね。
 
なので,テストに出すことを考えながら授業計画をしているつもりです。後でまとめて書きますが,それでも足りない部分はたくさんあります。私なりのテストの流れとしては,まずテスト前(時間割等の発表がある1週間前ごろ)に「中間(期末)テスト問題案」というプリントを配ります。これはワークや付属のCD-ROMから引っ張ってきた問題をひたすら載せた物で,大体50問くらいあります。熟語や並び替えはほとんどここから出題します。また,現在使用している教科書はLessonごとに要約がついているので,その穴埋め問題も問題案プリントに載せます。そして「このプリントから50〜60点出します」と明記します。試験を作る際には,熟語や並び替えはプリントから,本文の内容を問う問題は別のところから(自分で考えて)出題します。本当はテスト後にテスト直しも課したいのですが,それについてはいい方法を模索中です…。何か実践されている方がおられたら教えてください!
 
この方法(テスト問題案プリント配布)は一学期の期末考査から始めたのですが,生徒には好評です。そりゃあまぁ,「これだけすれば絶対赤点にはならない!」というのは魅力的ですよね。英語が苦手な生徒は特にそうで,「あのプリントやって,生まれて初めて英語のテストで平均点以上とれた!」と言ってきた子もいます。ただ問題数としては決して簡単に覚えられる量ではありません。それでも,「ワークからも問題出すよ」と言うよりずっと生徒は真剣に勉強しているようです。結果としてしていることは同じなんですけどね。
 
本来英語の試験というのは「英語の力がついているどうか」を測るのが目的です。ただその「力」とはどんなものか考える必要がありますよね。本当は卯城先生が仰っているように「習った文法や熟語が使われている文を初見で読んで問題に答えられる」のが読解力なのだとは思います。ただし勤務校の場合,定期考査の結果のみが学年末の評定に反映され,その評定によって校内推薦を受けられるかが決まるので定期考査が大学入試と言っても過言ではありません。だからこそ「これあのクラスは授業で言ってないけど実力あったらできるかな?」といったいたずらな出題はしないようにしています。そして「授業をしっかり聞いている」「提出物をきちんと出している」といった,英語力の測定とは直接関係のない要素を含むテストにしています。
 
「本当はもっと違うテストにするべきなのかな」という気持ちと,「でもこういう形のテストを続けるにしろせめてきちんとテスト勉強をして臨んでほしい」という想いがあいまって,テスト問題案を配布するという方法に落ち着いた形です。まだまだ,悩み続けますが。
 
要は「何をどう測るか」と「テストによってどんな影響を生徒に及ぼしたいのか」をしっかり考えろということでしょうか。そして、その目的を達成するために相応しい方法(授業なり予習なり宿題なり)を選ばなければいけないのですよね。
 
テストを前提に授業を計画しているつもりでしたが,まだまだ穴はたくさんあります。例えば…
・熟語の練習が少ない(意味の確認、リピート、選択肢を与えた小テスト)のにテストには結構熟語を出す
・本文の流れを押さえるためにグラフィックオーガナイザーを使用しているのに、本文の内容理解についての質問はそれほどない
つまり授業でしていることとテストで問うていることが一貫してないということ…
 
自分で書いててへこみますが,現実と向き合います。二学期期末,いい授業をしていいテストを作ります!そのためには今から試験問題考えないとですよね。今考えている案としては,テスト前にまとめて問題案プリントを配る代わりに,各Part終了時に小テストを行ってそれをそのまま定期考査の一部にするというもの。ペア組んでる先生と相談して,出来そうだったら実施してみます。
 
生徒が受けるテストは定期考査だけではありません。学校という小規模な環境でするテストはモチベーションに関係するところが大きくて、一方模試みたいな大規模に実施されるテストは測定に適してるように思います。1つのテストで全て測ったり促進したりするんじゃなく、色んなアプローチを組み合わせて,いい波及効果を与えられるようにしたいです。
 
できている子の答案を採点しながらは「やっぱり力あるなぁ。頑張ったんだなぁ」と思い,できていない子のを採点する時は「教え方が悪かったなぁ。ごめんね」と思います。悲しくなりますが,出来の悪い答案を見て「やっぱりこの子は勉強してないな」しか思わないような教師にはなりたくありません。へこみつつ,前進できていますように…。
 
明日以降も 時間を見つけてメソ研in秋田の映像でお勉強させて頂きます☆ 
どんどん寒くなりますが,体調にお気をつけ下さいませ。
ではでは*°
 
 
 

言葉にするということ

こんばんは。日曜日にルーター(SoftBankの007z)が充電できなくなるというトラブルに見まわれ,バッテリーが届く今日までネット難民でした。健康もインターネット環境も,なくなって初めてありがたみが分かるものですね。
 
この土日で瀬戸内国際芸術祭に行ってきました。行けたのは直島と豊島だけですが,想像力を刺激される美術館や展示ばかりでとてもとても楽しかったです。そして,美術品に触れるたびに思うことを改めて考える島めぐりでした。それは「言葉にするということ」についてです。
 
芸術祭で,色々な美術作品を見ました。元々美術館が大好きなので,今までも日本や海外でそれなりに美術館に行ってきました。その度に出るのが「これを見た感想を書きなさいと言われても,うまくは書けないなぁ」という気持ちです。今回は特にモダンアートというか,「なんじゃこりゃ?」という作品が多かったのでなおさらです。例えば豊島美術館は今まで行った中でもかなり上位に入る素敵さでしたが,言葉で説明すると陳腐になってしまいます。(興味のある方はこちらhttp://www.benesse-artsite.jp/teshima-artmuseum/
 
本当に感動した時って,その気持を言葉にできないと思います。
「訳がわからないけどすごい」
「よく分からないけど面白い」
蔵で謎の映像を見たり,地面から水が溢れてするすると移動したり,謎の空間が広がっていたり。今回の2日間で,何度も何度も「うわぁ」としか言い様のない感覚に陥りました。
 
言葉にすると本当に大切な感覚が逃げていく。というと少し強いと思いますが,言葉という枠にはまらない,不確かなところに存在する感動は必ずある気がします。
 
読書感想文や講演会の感想を書かせるのは,言葉で読み聞きしたものの感想を言葉で書くのだから少しは違うかもしれません。ただ,音楽や芸術に触れた感動を言葉にしようと(できると)思うことは、ある意味おこがましいことなのではないでしょうか。本当に豊かな感情は,言葉という枠に入りきらないと思います。それを無理やり型に入れようとする感想文が生徒の感じる気持ちを抑えてしまっているとしたら,とても勿体無いことです。
 
 
4月から高校教員として働きながら驚くことの1つに,生徒の言葉遣いがあります。人によっては本当に酷いです。それを聞くたびに語彙は必要だと感じます。彼ら彼女らは,「やばい」「すごい」「うざい」で自分の気持ちの何割をカバーするつもりなのでしょう。「言葉に出来ない感覚を味わう」以前に,「言葉を知らないから感動できない」のだとしたら,それはまた別の問題です。
 
 
私は英語教師です。他にも仕事はたくさんありますが,第一に英語という言葉を教えてお給料を頂いています。その立場からも,今までの人生からも,言葉の大切さはそれなり以上に分かっていると思いたいです。
 
それを踏まえた上で「言葉にならない気持ち」の存在を認めたいのです。
 
言葉にするということは,あからさまにすることです。政治や司法の場では,言葉によるやり取りで様々なことをはっきりさせていく必要があります。でも日常生活の人間関係において,言葉によって感情をあからさまにすることがどれほどいいことなのでしょう。誰かを好きな理由を10個以上並び立てるのと,「理由はよくわからないけど,好き」なのと,どちらが素敵でしょう。もちろん状況や感覚によって違ってくるとは思うのですが。
 
生徒から人間関係などの愚痴を聞くと,感情を言葉によって共有し過ぎている気がします。LINEやTwitter,FacebookといったSNSが当たり前にある子たちにとっては普通の感覚なのでしょうが,なんだかずっと友達と一緒にいるようで窮屈そうです。文字にするということはハードルが低いというか,実際会ったらわざわざ言わないようなことを簡単に書いてしまいがちです。それが共有され,狭い人間関係に波紋を呼び,学校での居心地が悪くなるなんて例をたくさん見聞きします。友人との関係に限らず,先生の悪口や学校への不満など,ネガティブな気持ちの方がより共有されやすい様に感じるのは気のせいでしょうか?
 
私は言霊はあると信じています。言葉にすることにはいいことも悪いこともあると,どう教えればいいのでしょうか。言葉の教師だからこそ,言葉の大切さはきちんと受け止めたい。そして,生徒に伝えたい。そしてそれは言葉で伝えるより,体験や感覚を通してわかってほしい。そんなことを考えた瀬戸内国際芸術祭でした。この記事を書きながら,私自身まだまだ言葉に出来ないところが多いなぁ,力不足だなぁと悔しい限りです。意見や感情を言葉に出来るのは大切なこと。ただし,言葉の枠を超える感情が存在することを認めて,言葉として発する時と場合を考えないといけませんね。
 
 
芸術祭は11月の頭で終わりますが,直島や豊島の美術館は年間を通じて開いています。どちらも本当にいいので,ぜひ行かれてみてください。朝早く行くこと,バスの時間を調べていくことがポイントです。
 
中間考査の採点が終わったら,私の未熟なテスト観について書こうと思います。もし毎回読んでくださっている方がいらっしゃったら,本当に有難うございます。
 
雨が激しい地域もあるようですが,皆様のお住いの地域に大きな被害が出ませんように。
 
それでは*゜

LET関西 秋季研究大会

こんばんは。修学旅行の荷物を整理する間もなく,昨日今日と大阪に行ってきました。外国語教育メディア学会(LET)関西支部の秋季研究大会に参加するためです。午前中がシンポジウム,午後は研究発表と基調講演,夜は相変わらず楽しい飲み会と,充実の1日でした!シンポジウムの内容を中心にまとめと感想を書きます。

 
シンポジウム「英語で授業をする」

阿野幸一先生(文教大学) ・津久井貴之先生(群馬県教育委員会)

櫻井譲先生(関西大学中等部・高等部)がパネリスト,溝畑保之先生(大阪府立鳳高等学校)がコーディネーターで行われました。溝畑先生が司会として進められ,3人の先生がそれぞれのご意見を発表された後に質問・コメントの時間が設けられていました。なぜか櫻井先生の時のメモが紛失したので,ひとまず阿野先生と津久井先生のお話について簡単に。( )内は私の補足です。もしかしたらお話にもあったかもですが,メモに残っていなかったので。

 

*阿野先生のお話

まず「英語で授業」は教室ならではというお話から。教師と生徒,生徒同士のインタラクションがあってこそなので,単にインプットを与えればいいというものではない。

 

 「説明を聞いていれば分かるようになる」という前提で授業をされる先生もおられるが,日本語でいくら説明するよりも「使わせてみる」が大切。例として水泳を挙げられていました。似た話でテストの採点をしながら「あんなに説明したのに全くわかっていない!」と嘆くことがあるが,それは生徒に英語を定着させる活動が出来ていなかったから。

 

教師が英語を使う(そして生徒も英語を使う)ことでTeachingがLearningになる。理想は授業が終わった後の生徒の頭に英語が残る授業。「今日はto不定詞の副詞的用法をしたなー」など,日本語が残っても仕方がない。

 

「コミュニケーション英語」の利点を活かせているのか?技能統合をする時は単に複数の技能を使わせるのではなく,”Thinking”を介することが大切。

Listening                    Speaking

          Thinking(≠Translation)

Reading                      Writing

 

↑こんなイメージ

 

困難校では「受験」という言葉が通用しない分,英語の本質が問われる。生徒の動機づけ,コミュニケーション,題材の面白さの3要素が大切。(阿野先生ご自身も困難校で勤務された経験があり,授業崩壊を起こして恩師に相談されたことがあるそうです。無理に正しい英語を使わせようとするよりも,生徒と英語で会話をし,フィードバックでさりげなく間違いを訂正するように授業スタイルを変えられて上手くいったと言われていました。)

 

 

*津久井先生のお話

英語で授業をするためには,教師の英語指導観のParadigm Shiftが必要。

 

教師は自分が教えたことと生徒が学んだことの半分づつくらいが生徒の中に残ると思いがちだが,実際に残るのは教師が教えたと思っていることよりずっと少なく,達成感や有用感,経験のほうがよっぽど残る。

 

「英語で授業」をする上でいま大切なことは

・目的を明確にすること

・学習者としての意識,目線を持つこと。ワークシート1つにしても,教師が良かれと思って凝ったものにすることで逆に分からなくなったり思考が滞ったりしてしまう。

 

英語が苦手な子や宿題をしてこない子へのケアは必要だが,それに終始し過ぎるとせっかくのやる気がある子を放っておく形になりがち。やる気のある子を伸ばすことも考えないといけない。

 

具体的な取り組みのヒント

1.(英語の)科目間の連携

2.授業につながる家庭学習

3.教師の「語り」としての英語使用

4.伝えたい・聞いてみようかなという気持ちの素地を作る

 

*質疑応答

Q. 学力差のある子を巻き込む授業とは?やる気のあることスローラーナーのギャップを埋めるためには?

A. ペア・グループワークの実施。学期に一度はその意義を生徒に伝えること。また,タスクに複数の段階を設けたり,出来た子に与える一段上のレベルのタスクを設けることで教師に心の余裕が生まれ,個別の指導が必要な子に割く時間を作ることが出来る。

 

 

 

他にも興味深いお話がありましたが,内容を全部をブログに書くのもどうかと思うのでこの辺にしておきます。

 

津久井先生のお話にあった「学習者の学びの『きっかけ』は様々で,『教えどき』は必ずしも『学びどき』ではないが,『学びどき』には,教師の教えようとすることを越えて学習者は学ぶ」という言葉が印象的でした。

 

以前も書きましたが,私は授業中は基本的に日本語を使っています。生徒の反応や授業スタイルを考えてのことなのですが,生徒の「学びどき」を遅らせたり奪ったりしているかもしれません。自分の気持ちを奮い立たせるというか,「やっぱり英語で授業しないとなー」と思うシンポジウムでした。少しずつ英語を使う量を増やしたいです。そして,生徒が(音読以外でも)英語を使う機会をもっと作りたいです。やりたいことはたくさんあるんですよね。少しずつ,改善していきます。

 

 

たまたま昼食の場所でお会いした亘理先生に「(私は)いい意味でふてぶてしいから,割と元気というか大丈夫そうだね」と言われましたが,自分でも本当にふてぶてしいと思います。良い授業が出来なかったりテストでミスがあってへこむことも多々ありますが,さんざんへこんでも「ま,次頑張ればいっか☆」で解決します。心身ともにタフなところは長所だと思っていますが,自己満足で終わらないようにしないとですよね。そのためには今回のような研究大会や研究会に積極的に参加して色々な方とお話する機会を設けることが大切だと思いました。

 

午後の発表ではいつもお世話になっている大阪工業大学の神谷先生のサイトhttp://dl.dropboxusercontent.com/u/14905265/index.htmlから行ける「フラッシュ型例文・対訳提示ツール」の実践例と可能性についての発表,北海学園大学の浦野先生による大学のライティングの授業におけるTBLTの実践報告,関西大学4年生の樋口拓弥先生の開発された教員向けiPadアプリYubiquitous Textについての発表を拝聴しました。どれも自分の授業に落とし込める要素がたくさんあって,勉強になりました。枠が重なって行けなかった発表にも面白そうなものがたくさんあったので,どなたか教えて頂けると幸いです!

 

 

「いつもの方々」とまとめるのは失礼すぎる,素敵な先生方との飲み会はやっぱり楽しかったです♡いつもにも増して,よく飲みよく食べよく笑いました!

 

Twitterでやりとりをしていた方とお会い出来たり,授業のヒントを頂けたり,単純に楽しかったり,大満足の研究大会でした。お世話になった皆様,本当にありがとうございました。

 

 

メモを元にざくざく書いたので,まとまっていない内容ですみません。

訂正・補足などのご意見がある方はコメントもしくはTwitterのリプライでお教えください。研究大会などについて書く時はどこまで内容に触れていいのか不安です。直したほうが良い箇所がございましたら,こちらもご気軽にご連絡ください。

 

今日は大阪で友人に会ったり買い物したり,2日間満喫しました♡明日は朝から学校に行ってテストを作る予定です。行事が終わって腑抜けモードの生徒もいると思いますので,ここらできっちり勉強にシフトできるよう,きっけかになるような中間考査にできればと思います。

 

 

それでは*゜

 

 

 

教師としての武器

こんばんは。北海道での修学旅行から帰って来ました。曇りや雨の日もありましたが,生徒は楽しんで過ごせたようです。

 
一緒に行動するのはもちろん,点呼から見回りから誘導から色々な仕事があって,修学旅行の引率って大変なんだなぁとしみじみ感じました。もちろんラフティングしたり買い物したり,私も楽しませてもらったのですが。
 
ただ修学旅行中よく思ったのが,「生徒との距離の取り方が難しいなぁ」ということです。
 
人間関係が顕著に現れるのは呼称だと思いますが,生徒の私の呼び方はまぁ軽いです。学年に同じ名字で1年先輩の先生がおられることもあって,名字で呼ばれることはほぼありません。「まいこ先生」はいい方で、「まいちゃん」「まいこさん」「まいたん」などなど…。「まいこ」と呼ぶ生徒も数名ですがいます。
 
勤務校は結構なマンモス校で,今年は特に新任がたくさんいます。若い先生が多く,あだ名や呼び捨てで呼ばれている同期もたくさんいます。
 
生徒から慕われている,とも取れると思います。おそらく,ほとんどの生徒は悪気なく私のことをちゃん付けで呼んでいます。でも,それを「生徒と友達感覚になっている」と思う方もおられるんですよね。
 
修学旅行中,クラスの生徒の中で少しトラブルがありました。そのことで主任(50代女性)に報告に行った時,このようなことを言われました。
 
「先生がどうこうと言うのではなくて,今の若い先生の中には生徒と同じ土俵に立つことがいいことだと思っている先生もおられるけど,それは違うから。先生もまいちゃんと呼ばれているけど,場面によってはそれをたしなめて直させないといけない。その感覚というか駆け引きは,経験を積めば分かるようになるから」
  
同期を始めとする先生の中には,生徒からちょっとばかにされてあだ名や呼び捨てで呼ばれている先生もいます。主任はそういった先生には注意することすら諦めた感じの人なので(きっと1年の我慢だと思っているので),言ってもらえるだけありがたいとは思いました。それでも,感覚って何??というのが聞いた直後の素直な感想でした。
 
「生徒と同じ土俵に立つ」と「生徒の気持ちを考える」って,本当に紙一重だと思います。もちろん敬語は使えないといけませんし,教師と生徒の間に一線は引くべきです。ただ,良くも悪くも生徒と近い感覚でいられるのは,せいぜい今年を入れて3年くらいだと思っています。今しかない,というと安っぽいですが,実際肌身に感じます。
 
生徒との年齢差がいくら離れても生徒と近い先生もおられますが,行き過ぎると教員という集団の中での協力がしにくくなる気がします。嫌でも生徒に「私達に近い存在」と思われる今のうちに,生徒との距離の取り方を学びたいです。自分から距離を置くのと,生徒に離れられるのは違いますよね。先生を引きつけつつ一線は保てる,というのが理想です。
 
私が尊敬する写真家の蜷川実花さんが「説得ではしこりが残るから、納得してもらうように頑張ります」と言われていました。教員として働き出して,この言葉を実感することが多くなりました。ベテランの先生が言われる事は確かに重みがあります。生徒も反抗しないことが多いです。ただ,後で私の方に「さっきの言い方どう思う?!まじうざい」と言いに来たり,結局同じ注意を繰り返されたり,ということもあります。そういった点で,話をよく聞いてこちらの言い分を伝えて分かってもらう,という自分のやり方が間違っているとは思いません。もちろん手間も時間もかかりますし,いつもうまくいく訳ではありませんが。
 
仕事に限らず、それぞれの年齢や経験に応じた自分の武器に自覚的であるべきだと思っています。今の私の武器は主に若さと親しみやすさです。その代わり,経験はありませんし授業もまだまだ未熟です。一生若さで戦うことは出来ません。そんなことしようとしても痛々しいしいだけです。しばらくは5年,少し経験を積んだら10年スパンくらいで,自分の武器を見直していくつもりです。いいところは取り入れつつ,新しい先生に任せられる部分把握任せつつ,学校もしくは学年団のバランスをとっていきたいです。
 
いま私に出来ること、すべきことは
・生徒の話をよく聞く
・わからないことはベテランの先生に相談する
・生徒との距離の取り方を身につける
 
といったところでしょうか。
 
わがままなもので,生徒は単に優しく親しみやすいだけの先生は足元を見るんですよね。その辺も踏まえて,距離をうまくつかんで行きたいと思います。この春は授業のことで精一杯で,ぱたぱたしている内に今のキャラクターが出来てしまいました。担任している2年生が卒業してから,改めてキャラクターなりポジションなりを固めていければと思います。
 
 
修学旅行中の待機時間に大体書いたので,いつもにも増してだらだらと書いてしまいました。お読みいただきありがとうございます。生徒との距離の取り方,呼ばれ方などについてご意見のある方はぜひコメントにお書きください。
 
今日の夜北海道から戻り,明日は朝からLETのために大阪です。想像以上にハードですが、せっかくなのでたくさん勉強して,好きな先生方とお会いして来ます♪ お会い出来る方は,よろしくお願いいたします。
 
まだまだ暑い日が続く変な気候ですので,体調崩されませんようご自愛ください♡
では*°