言葉にするということ

こんばんは。日曜日にルーター(SoftBankの007z)が充電できなくなるというトラブルに見まわれ,バッテリーが届く今日までネット難民でした。健康もインターネット環境も,なくなって初めてありがたみが分かるものですね。
 
この土日で瀬戸内国際芸術祭に行ってきました。行けたのは直島と豊島だけですが,想像力を刺激される美術館や展示ばかりでとてもとても楽しかったです。そして,美術品に触れるたびに思うことを改めて考える島めぐりでした。それは「言葉にするということ」についてです。
 
芸術祭で,色々な美術作品を見ました。元々美術館が大好きなので,今までも日本や海外でそれなりに美術館に行ってきました。その度に出るのが「これを見た感想を書きなさいと言われても,うまくは書けないなぁ」という気持ちです。今回は特にモダンアートというか,「なんじゃこりゃ?」という作品が多かったのでなおさらです。例えば豊島美術館は今まで行った中でもかなり上位に入る素敵さでしたが,言葉で説明すると陳腐になってしまいます。(興味のある方はこちらhttp://www.benesse-artsite.jp/teshima-artmuseum/
 
本当に感動した時って,その気持を言葉にできないと思います。
「訳がわからないけどすごい」
「よく分からないけど面白い」
蔵で謎の映像を見たり,地面から水が溢れてするすると移動したり,謎の空間が広がっていたり。今回の2日間で,何度も何度も「うわぁ」としか言い様のない感覚に陥りました。
 
言葉にすると本当に大切な感覚が逃げていく。というと少し強いと思いますが,言葉という枠にはまらない,不確かなところに存在する感動は必ずある気がします。
 
読書感想文や講演会の感想を書かせるのは,言葉で読み聞きしたものの感想を言葉で書くのだから少しは違うかもしれません。ただ,音楽や芸術に触れた感動を言葉にしようと(できると)思うことは、ある意味おこがましいことなのではないでしょうか。本当に豊かな感情は,言葉という枠に入りきらないと思います。それを無理やり型に入れようとする感想文が生徒の感じる気持ちを抑えてしまっているとしたら,とても勿体無いことです。
 
 
4月から高校教員として働きながら驚くことの1つに,生徒の言葉遣いがあります。人によっては本当に酷いです。それを聞くたびに語彙は必要だと感じます。彼ら彼女らは,「やばい」「すごい」「うざい」で自分の気持ちの何割をカバーするつもりなのでしょう。「言葉に出来ない感覚を味わう」以前に,「言葉を知らないから感動できない」のだとしたら,それはまた別の問題です。
 
 
私は英語教師です。他にも仕事はたくさんありますが,第一に英語という言葉を教えてお給料を頂いています。その立場からも,今までの人生からも,言葉の大切さはそれなり以上に分かっていると思いたいです。
 
それを踏まえた上で「言葉にならない気持ち」の存在を認めたいのです。
 
言葉にするということは,あからさまにすることです。政治や司法の場では,言葉によるやり取りで様々なことをはっきりさせていく必要があります。でも日常生活の人間関係において,言葉によって感情をあからさまにすることがどれほどいいことなのでしょう。誰かを好きな理由を10個以上並び立てるのと,「理由はよくわからないけど,好き」なのと,どちらが素敵でしょう。もちろん状況や感覚によって違ってくるとは思うのですが。
 
生徒から人間関係などの愚痴を聞くと,感情を言葉によって共有し過ぎている気がします。LINEやTwitter,FacebookといったSNSが当たり前にある子たちにとっては普通の感覚なのでしょうが,なんだかずっと友達と一緒にいるようで窮屈そうです。文字にするということはハードルが低いというか,実際会ったらわざわざ言わないようなことを簡単に書いてしまいがちです。それが共有され,狭い人間関係に波紋を呼び,学校での居心地が悪くなるなんて例をたくさん見聞きします。友人との関係に限らず,先生の悪口や学校への不満など,ネガティブな気持ちの方がより共有されやすい様に感じるのは気のせいでしょうか?
 
私は言霊はあると信じています。言葉にすることにはいいことも悪いこともあると,どう教えればいいのでしょうか。言葉の教師だからこそ,言葉の大切さはきちんと受け止めたい。そして,生徒に伝えたい。そしてそれは言葉で伝えるより,体験や感覚を通してわかってほしい。そんなことを考えた瀬戸内国際芸術祭でした。この記事を書きながら,私自身まだまだ言葉に出来ないところが多いなぁ,力不足だなぁと悔しい限りです。意見や感情を言葉に出来るのは大切なこと。ただし,言葉の枠を超える感情が存在することを認めて,言葉として発する時と場合を考えないといけませんね。
 
 
芸術祭は11月の頭で終わりますが,直島や豊島の美術館は年間を通じて開いています。どちらも本当にいいので,ぜひ行かれてみてください。朝早く行くこと,バスの時間を調べていくことがポイントです。
 
中間考査の採点が終わったら,私の未熟なテスト観について書こうと思います。もし毎回読んでくださっている方がいらっしゃったら,本当に有難うございます。
 
雨が激しい地域もあるようですが,皆様のお住いの地域に大きな被害が出ませんように。
 
それでは*゜
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言葉にするということ」への2件のフィードバック

  1. 感動してもそれを言葉にしたら、感動がどこかへ消えていってしまいそうな気がしますね。
    できるだけ長くその感動を味わっていたいものです。
    ただ教師は言葉にする、あるいは言葉にしなければいけない場面が多々あります。
    そういう意味では言葉の大切さを自ら自覚して使う必要があります。

    Lineなどで生徒同士が感情的になって言葉を発し、トラブルが生じるケースが増えています。
    この前北海道新聞に掲載されていたんですが、ある中学生がグループトークから突然排除され、不登校になったそうです。
    その中学生は毎日数百回もやり取りをしていて、驚くことに、「Lineでつながっていないと友達とはいえない気がして」深夜遅くまでLineに没頭していたみたいです。
    この記事を読んで感じたのは、Lineでつながっている友達とは、どんな友達なのかということでした。
    『14歳からの哲学』(池田晶子著)の一説に「本当の友情とは、自分の孤独に耐えられる者同士の間でしか決して生まれるものではないんだ…」とあります。
    先日この一説をクラスの生徒(定時制ですが)に読んで聞かせました。少しでも友達について考えて欲しかったからです。
    また自分の言葉には常に責任を持つことを付け加えました。

    「言葉の教師だからこそ,言葉の大切さはきちんと受け止めたい」という気持ちは私も同じですね。
    言葉は本当に奥が深いです。日本語だって十分に使いこなせているか、日々考えています。

    定時制も試験が近づいています。北海道は秋が深まり、そろそろ冬の足音が聞こえてきそうです。

    • エリオットさん

      そうなんです。言葉にしないことで残る余韻ってあると思うのです。
      「教師は言葉にする、あるいは言葉にしなければいけない場面が多々あります。」というのを実感する日々です。きちんと言わないと,思ってるだけじゃ伝わらないなぁと。逆に「言葉にすれば少しは伝わる」と思うと少し気が楽になりますが。

      やはりLINE関係のトラブルは増えていますよね。グループ機能にせよ既読機能にせよ,便利さと不便さは紙一重です。
      それを自覚して使ってくれるならいいのですが,そううまくいくわけもありませんし。
      押しつけても反発し,放っておいたら好き勝手し,本当に厄介です。そんなところも可愛いと思ってしまうのですが(笑)

      生徒に「言葉とは」を教えるなら自身が言葉の重みについてしっかり考えておくべきですよね。
      私も日本語ですら時々不安な事があるので,豊かで美しい言葉遣いの出来る人を目指します。

      北海道の秋は綺麗でしょうね!
      寒さが厳しくなる時期でしょうから,ご自愛くださいませ。
      いつもありがとうございます。

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